僕には受験生という自覚はないのか? 自問自答をしてみたけれど、答えはあっさりアルファベット二文字ではなく三文字の方が出た。YES。
別に息抜きとか友人を慰めるためだとか、いくらでも言い訳はできなくはないが、二日連続徹夜ってのは、さすがにどうかと思う。しかも朝飯までご馳走になって。
「……ご馳走様でした」
長井も帰らず残っていたけれど、いつの間にか眠っていた。僕と加藤は眠ることもなく、ただひたすらゲームを続けていたのに、だ。
まあ、それが友達甲斐の有無と直接関係しているわけじゃないんだけれど。うん。負けそうになる度リセットボタンに手を伸ばすより、よっぽどマシだろうとは思うし。つまりは、僕よりもマシだろうとは。
「すっげ美味かったっす、マジで」
よく眠ったおかげか朝っぱらから元気な長井は、加藤の母親におべっかまで使っている。美味かったことは否定しないが、表情とか言い回しとか、そういったものが胡散臭い。大袈裟すぎてワザとらしいというか、何というか。
「ありがとう。豊なんてもう全然褒めてくれないから、嬉しいわ」
マダムキラーか、長井は。ちらりと横を見ると、眠そうな加藤が黙々と、意に介さずといった様子で食事を続けていた。
昨夜は、加藤の母親に世話になった。僕の家と長井の家に電話して、勉強会を行うという安っぽい言い訳を述べてもらったのだ。おかげで、どうにかお咎めなしになりそうだ。
とはいえ今日は、きちんと予備校に行かねば。味噌汁を飲み干しながら、僕は心に誓ってみた。しかしまあ、僕の誓いなんて簡単なもので、結構あっさりと破られたりもするわけで。
「……夏子は?」
食べ終え食器を片しながら、加藤が訊いている。ナツコ。加藤の妹。昨日は学ランを着ていてびっくりしたが、どうやらあれは妹ではないらしい。部屋に通されてから説明を聞いて、心底ほっとした覚えがある。
もちろんよくよく考えてみれば、当り前なんだけれど。いくらなんでも、あれじゃ妹失格過ぎる。血の気の多そうなガラの悪さに、似合っていない金髪もどき。睨み付けられたときはぞっとした。喧嘩したら確実に負ける気がする。身長こそ低かったが、何というか、強そうで。
そういえば、本物の妹は見ていない。当り前といえば当り前か。あんなことがあったんだ。僕らみたいな部外者に、顔を見せる余裕なんてないだろう。
「夏子はまだ部屋にいるわ。……そろそろ起こさないとね」
私もそろそろ仕事に行かなくちゃ、と言いながら、おばさんはリビングから出て行った。加藤の妹を起こしに行ったのかもしれない。
とうとう、ついに。加藤の妹を拝める可能性が。
僕の脳内の妹には敵わないだろうけれど、それなりに可愛い妹であって欲しいと思う。僕を一目見た途端、顔を真っ赤にしてみたり。お兄ちゃんの友達に一目惚れ、みたいな。悪くない。悪くないね。
昨日の目つきの悪いチビは近所の幼馴染と言っていたから、チャンスは大いにあるだろう。加藤のことをお義兄様、は、ちょっと萎えるけれど。
耳を澄ますと、廊下から足音が聞こえて来た。二人分。徐々に近付いて来る足音に、僕の心は躍っている。不謹慎かもしれない。けれど、恋焦がれた妹という存在に、ついにご対面と相成るわけだ。この胸の高鳴りは許して欲しい。
ゆっくりと、リビングの扉が開かれた。誰かが中に入って来る。ああ、緊張する。しかし。
「ユタ兄?」
がっかりすることに、それは昨日のチビだった。
「……どうも」
明らかに不機嫌そうな顔で挨拶をされる。長井は普通に挨拶を返していたが、僕はどうにもそういう気にはなれない。黙って、睨むように会釈した。
「帰らなかったの?」
加藤がチビに話しかけると、チビは後ろに回していた手を黙って見せ付ける。繋がれた手。その向こうにいるのは、ひょっとして。
「夏のこと、一人にしたくなくて」
照れたように顔を歪ませる。何だそれ。結局、ただの近所の幼馴染じゃないってことかよ。年下のガラの悪いチビに、僕は負けているってことかよ。
腹立たしいが、まあ良いさ。何せ僕は受験生だ。来年の今頃は、ミスキャンパスの美人女子大生と恋仲になっているだろう。加藤の妹なんかより、よっぽどの美人と。本当は、加藤の妹を見ていないので、そこは何とも言えないんだけれど。
僕は食器を片付けつつ、加藤の妹の顔を見ようと席を立った。見計らったかのようにチビが席に着く。隣には、制服を着た少女。加藤の妹らしき人物。俯いていて顔が見えない。硬く握り合った手が、僕の神経を逆なでする。
受験生に色恋は不要だ。そんなことは判っている。けれどこうやって目の前でいちゃつかれるのは、どうしたって気分が悪い。
「……夏、朝飯、食えるか?」
加藤の妹を気遣うように、チビが優しく声をかけている。僕らに対する挨拶とは偉い違いだ。ますますもって腹立たしい。年上を敬いやがれ。
ああ、しかし。考えてみれば納得できる個所もある。昨日の夕飯時、加藤の妹が来なかったのだ。僕と長井と、加藤家三人の食卓。思い返せば妙な状況だった。上っ面だけの楽しげな会話が飛び交う、どうにも居心地の悪い空間。妹のことを心配し過ぎて、誰も名前を出さなかったんだと思っていたが。
なるほどな。そういうことだったのか。
加藤の妹はチビと一緒に部屋にいた。親公認ってのは判らなくもないが、ちょっとやり過ぎな気がする。年下のくせに生意気な。
「……ありがとう、タカ」
加藤の妹が弱々しく声を発する。意外と可愛い声。罵倒されるのも悪くなさそうな、声。
ゆっくりと顔を上げる加藤の妹に、僕の目は釘付けになった。気の強そうな顔立ちは、確かに加藤の言う通り可愛げがないのかもしれない。
けれど確かに。間違いなく。目が、奪われる。
「良いから。……今日は一緒に学校まで行こう。な?」
チビにあやされ静かに微笑む。ヤバい。目が離せない。理想とは懸け離れた加藤の妹に、僕の何かを掴まれた気がする。親公認の男がいる相手に、僕はどうしてこんな感情を覚えるのか。自分でも、意味が判らないけれど。
「……高橋?」
食器を洗い終えた長井に声をかけられても、僕は正気に戻れない。深入りをしない方が良い。判っている。間違いなく、結果は見えている。
「ああ。……僕の分も洗ってくれる?」
「良いけど、この借りは高くつくぜ?」
上の空。長井が何かを言っていたが、僕の耳には届かない。この感情の名前は知っている。けれど、知らない方が良い。気付かない方が良い。
僕は、今、受験生だ。できる限り力強く、僕は自分に言い聞かせた。
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