『空中楼閣と人魚』


 海辺から続く真っ直ぐな坂の上に、大きな屋敷が二棟そびえている。隣接するれらの内、一棟は極有り触れた如何いかにもな御屋敷であったが、もう一棟の建物は、酷く変わった外観をしていた。
 板張りの壁面は白く塗られており、象牙のようにつるりとしていて。赤い瓦屋根と相まって、まるで玩具のように非現実的な雰囲気を醸し出している。此の御時勢に於いては御法度とも思われる、派手な配色。しかも無人であるらしいにもかかわらず、手入れの行き届いた外装でもあり。其れは遠目に見ても判る程に、奇妙な建物であった。
 地元の子供たち曰く“人形屋敷”。不可思議な其の響きが、如何にも良く似合っている。
 くだんの建物を正面に据え、坂道を登りながら。そんな風に、僕は思った。
 海辺にあるの町唯一の駅で汽車を降りた僕は、坂の上に建つ親戚の家へと向かっていた。急ぐことに限度はあるが、出来得る限りの速度で歩き。
 道中、子供たちの声が聞こえた。人形屋敷の話を聞きかじったのは其のときで、成程確かにと感心したのも、つい先程の出来事で。子供たちの声だけでなく、地元の大人たちのひそひそ話も耳に届いたのであるが。気分の悪い、突き刺さるような視線と共に。
 はかまの仕立ての問題か、或いは歩きの不自然さ故か。否、僕が余所者だからと云う、其れだけの理由なのかもしれない。何れにせよ、観察されてしまうのは仕方のないことではあった。蔑まれる理由は判っている。
 ふと思い立ち、歩みを止めた。振り返り海を見下ろすと、小さな入り江が目に映る。漁船が疎らに停泊しており、お零れを狙う海鳥が飛び交い。漁港と呼ぶには規模が小さく、かと云って他の呼び名も見当たらず。殆ど働き手がいない所為か、酷くうらぶれてしまっている。其の様は、何処か寂しげで。
 自然、溜息が漏れていた。
 からり、と下駄が音を立てる。僕は再び、坂道を歩み始めた。親戚の家は此の坂を登り切った場所に建っている。丁度、そう。人形屋敷の直ぐ隣に。
 所謂いわゆる、地元の名士と云うものであろう。親戚は、此の辺りでは名の知れた人であった。否、親戚だけでなく、僕の生家も其れなりであり。だからこそ、僕はこうして生きている。恥晒しだと、知りながらも。
 成るくでしかないのだが、迷惑にならぬよう心掛けねばと思う。ただでさえ、白い目で見られるような身なのだから。
 判っている。知っている。僕の欠陥は僕の所為ではないにしろ、其れが事実に変わりはないと云うことは。
 坂を駆け上るよう、爽やかな海風が吹く。潮の香り、夏の匂い。背を押すが如き其れに従い、僕はにわかに、歩みを早めた。

*

 形式的な挨拶を済ませ、与えられた部屋へと向かう。親戚夫妻は僕にはして興味がないらしく、年配の女中に彼是あれこれと指示を出し、其のまま何処かへ行ってしまった。表情は笑顔其の物であったが、確実に、歓迎はしていない様子で。厄介者を押し付けられているのだから、当然と云えば当然であろう。
 御案内しますと言ったきり無言の女中を追うように、板張りの廊下を進んだ。覚束おぼつかない足取りの僕を尻目に、女中は只管ひたすら先を急ぐ。当り前だ。一刻も早く解放されたいに決まっている。僕などと共にいる時間は、短ければ短い程良いのだから。
 しばし進むと、長く真っ直ぐな廊下に出た。少しばかり、歩む速度を緩める。少しずつ間隔が離されていくが、急いだところで追い付くよしもなく。諦めてしまった方が、幾分か気が楽ではあった。
 外の景色を眺めるよう、ゆっくりと足を進める。め込まれた硝子窓から夏の日差しが降り注ぎ、波打つ影が水中の如く揺らめいた。歪んだ硝子越しに外を見遣ると、青々と茂る庭木が目に映る。残念ながら、海は見えないようであった。
「勝之助様の御部屋は、此方こちらで御座います。」
 いつの間にか立ち止まっていた女中が、僕を振り返り口を開いた。真鍮製の取っ手を捻り、扉を引く。どうやらの部屋が、僕の生活の場になるらしい。
「案内、有難う。」
 礼を述べ、もう大丈夫だと告げた。部屋迄の距離はまだあるが、場所が判れば問題はない。そそくさと戻る白髪混じりの背中を見詰め、誰にも聞かれないよう、僕は小さな溜息を吐いた。
 庭木に目を遣りつつ、部屋へと向かう。硝子越しの歪んだ緑が、一歩進むたび空に溶け、葉に戻り。繰り返す様が、酷く可笑おかしく思えた。
 開いた扉に手を掛ける。ゆっくりと、部屋に足を踏み入れた。文机と本棚が置かれ、真新しい畳が心地い香りを放ち。意外な程に広い部屋。恐らく十畳はあるであろう。正面には、漆喰しっくい壁に挟まれた大きな格子戸。嵌め込まれた磨り硝子が、程良く陽光を取り入れている。
 硝子越しに外を見遣ると、ぼんやりと赤いものが目に映った。生い茂る庭木の向こう側、紅葉にしては早過ぎる。僕は硝子戸を薄く引き開け、外の景色を確認した。赤いものは瓦屋根で、其の下には白い板張りの壁面もあり。
 人形屋敷らしい。そう云えば、親戚宅の隣に存在しているのであった。部屋から見えていたとしても、然して可笑しなことではない。
 緑の隙間から覗いただけではあるのだが、矢張やはり彼の建物は、屋敷と呼ぶのが相応ふさわしいように思われた。成程、子供たちの言葉はもっともだ。赤と白を組み合わせた配色の派手さと云い、艶やかな壁面と云い。不可思議な無人の御屋敷。其れは正に、人形屋敷と云った風情で。
 ほう、と。思わず息を漏らしていた。感嘆と畏怖を織り交ぜた、例えようのない感情と共に。
 格子戸を開け放ち、部屋の中に風を採り入れる。潮の香りは余りしない。代わりに、むわりとした草いきれが立ち込めていた。掃き出し窓を兼用しているらしく、敷居の外は直ぐ庭であり。
 出てみようかと思ったが、止めた。怪我でもして迷惑を掛けてはならないし、何より此処には、僕用の履物がないのだから。
 目をつむると、さわさわと心地好い風の音が聞こえた。手入れの行き届いた庭木が、奏でている音らしい。草の踊る音かもしれない。何れにせよ、悪いものではないと思う。
 暫く、或いは一生であろうか。僕は此処で過ごすことになる。ひっそりと、家の外に出ることもなく。此の年齢から隠居生活を送らねばならないと云うのは屈辱的でしかなかったが、仕方のないことであると云うのもどうしようもなく自覚していて。
 せめて人並みの身体を持って産まれて来たかった、と、叶わぬ願いを唱えてみた。風に掻き消される程の小さな声で。囁くように、呟くように。

*

 板張りの廊下は滑り易く、僕が独りで歩くには、少しばかり不都合が多い。元より走ることの適わぬ身体ではあるのだが、余りにゆっくり過ぎるのも性に合わず。かと云って独りで動けない訳でもないので、人の手を借りる気も起きず。
 結果、忙しく動き回る使用人たちに、迷惑を掛けることとなっていた。
 僕の左脚は、殆ど機能していない。其れは産まれ付きであり僕の所為ではないのだが、肩身の狭さは仕方のないことでもあった。
 此の年齢で疎開する羽目になったのは、此の身体の所為であり。
「勝之助様、御足下、宜しいでしょうか、」
 いつまでも半人前でしかないのも、不自由な身体の所為であった。
「あ、……ああ。大丈夫だ。」
 手摺り代わりに壁に手を突き、廊下を緩慢に進む。自室に籠っていれば誰にも迷惑を掛けずに済むであろうことは、判っている。判っているが、どうしても気に掛かるので仕方がない。
 部屋から見える人形屋敷。幾ら無人とは云え他人の家に勝手に上がり込むことは出来ないが、近寄る程度は許されるはずだ。其の為には、下駄が必要で。
 本来であれば、女中にでも持って来させれば良いのであろう。けれども、僕如きが命令を下すと云うのは、流石に憚られるように思う。尤も、咎められる可能性を、考慮してのことでもあるのだが。
 唯でさえ、半人前の此の身体。其の上、余所様の屋敷を観察しよう、などとは。恥知らずにも程がある。
 愚かしいと思う、自分でも。しかしどうしても、近くで確認したいのだ。何故だかは判らないが、僕は、衝動に駆られていた。
 ふと窓を見遣ると、陽光に照らされた庭木が目に映る。歪んだ硝子の御陰か、緑が空に混じって見えて。例えるならば、水で溶かした染料のよう。曖昧な境目と、くっきりとした色の違い。風が吹く度、歩く度。姿を変え、形を保たず。唯、ゆらゆらと。
 木に覆われるように建っているからなのであろう。此の屋敷内は夏だと云うのにやや涼しく、過ごし易いように感じた。潮の香りがしない為か、高原のような爽やかささえも覚える。住み心地は悪くないはずだ。けれども。
 年老いた身で隠居をするには適しているが、果たして、若い身空の僕が此の先永住するに足る場所か否か。其れは、別の問題であった。
 左足を擦るように、玄関へと進む。治療法もなく常に片足を引いている身で良くも此の年迄、とは、自分でも感じている。恥知らずも甚だしいが、お情けで命を永らえているだけであると云うのは、僕が一番良く知っていて。
 廊下の角を曲がると、玄関が見えた。ほうきを持つ若い下女に声を掛け、履物を渡すよう告げる。
 僕の下駄は特製品で、予め足袋が縫い付けられており。右は通常の下駄と然程変わりないが、左は綿の詰められた足袋が脛辺り迄伸びている。不格好な一揃い。左は差し詰め、長靴ちょうかのような。
 だからこそ、はっきりと口にしなくとも。
「此方で、御座いましょうか、」
 何も言わずとも、伝わってしまう。其れは余り、気分の良いことではなかった。
「ああ、有難う。」
 見るからに歪な下駄を受け取り、足に嵌める。履くと云うより嵌めると云う表現の方が、しっくりときてしまう作業。外履きになってしまった方が、歩き易いと云う事実。足首から下が存在していないのだから、当然と言えば当然であるが。
「何処かへ、お出掛けなさるのですか、」
 奇異の目を隠そうとしつつ、下女が疑問を口にする。
「否、……ああ、そうだ。」
 否定するのも面倒なので僕は其れを肯定し、其の儘、庭先へと踏み出した。庭伝いに自室へと戻れば良いであろう。どうせ此の先、まともに外出する用事など、ないのだから。


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