『LOVE@ピース』


加藤 夏子@月曜日 08:10

 冬の朝は寒い。
 本当は駅までの道をタカと一緒に通学したいんだけれど、タカは自転車で、私は電車だ。遠回りさせるのも悪いし、かといって自転車の二人乗りは絶対にタカが許さないし。
 手を繋いで歩けたら、今よりずっと暖かいのに。やっぱり同じ高校に進学すれば良かったと、少し後悔したりもする。
 けれどタカは、頭があまりよろしくない。私は大学に行きたいし、将来的には学校の先生になりたかったりもするし。タカの高校は進学校ではないし、大学に行くには塾が必須で。そうしたら、やっぱり会える時間が減ってしまうような気がする。
「おはよう」
 教室の扉を開けながら、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
「あ、おはよう。なっちゃん、今日も寒いね」
 教室の後方にある自分の席に向かいながら、友人の咲と、他愛のない会話を交わす。
「昨日どうだったの? 大沢先輩、ちゃんと時間通りに来た?」
「全然。昨日もすっごい遅れてきた。嫌になっちゃうよ」
 嫌になる、と言いながらも、咲の表情は明るい。不貞腐れたようなことを言いながらも、結局は、ただのノロケ話らしい。話題を振ったのは私だけれど。
 口先はどうであれ、咲みたいに素直になれたら良いと思う。タカがいつか愛想を尽かすような気がしているのに、私はどうも素直になれない。そういえば、きちんと好きだと言ったこともない。
「もうね、反省してるって言葉ばっかり。ちっとも治りそうにないの」
「あはは。でもさ、咲と付き合う前からそんな感じだったんでしょ?」
「まあね。一応、電話もくれるようになったし。少しはマシになってるのかなあ」
 そこまで言うと、咲は何かを思い出したようだった。教室内を見回し、何かを探している。
「……どうしたの?」
 私が尋ねると、確かにそうだよな、と思う答えが返ってきた。
「なるみ、まだ来てないんだね」
「そういえば」
 なるみは、山田なるみは優等生だ。私たちのグループの中では、いつも一番早く学校に来ている。いつもは席に座り小説を読んでいるけれど、今日に限って姿がない。
「……昨日、風邪でもひいちゃったのかな」
 空いているなるみの席は、なんだか妙に寒々しかった。いるはずの主がいないだけなのに、何故か妙な違和感を覚える。何だろう。すごく嫌な感覚。なるみは風邪で休んでいるだけなのに。
 風邪で休んでいるだけ。本当に?
「メールしてみるね」
 そう言って咲は携帯電話を取り出した。風邪で倒れているであろう相手に送るメールだからか、文章がやたらと短い。すぐに打ち終え、携帯電話をしまい込む。
「ねえ、なっちゃん。めずらしいよね、なるみが休むのって」
 教室に続々と人が集まって来る中、やはりなるみの姿は見当たらない。電車は確か、遅れてはいなかったはず。この時間になっても来ないということは、おそらく、風邪で欠席なんだろう。
「返事来ないや。寝てるのかも」
 そろそろ担任が来る時間だ。なるみからのメールを諦め、私たちは席に着いた。
 どこからともなくチャイムが聞こえて来る。私は窓越しに見える外の景色を眺めながら、先程から感じているこの妙な違和感の正体を探っていた。
「……山田は欠席か?」
 担任が不思議そうに言う。連絡が入っていないらしい。教室内を見回すと、なるみの席以外はすべて埋まっていた。空いた席が、凍えるような寒さを放つ。風邪なら普通、学校に連絡を入れるはずだ。少なくとも、なるみのような優等生は。
 私の中で、不安が拡大していく。違和感が形を成していく。
 なるみの身に何かあったのかもしれない。
 けれどそれは不確かで、私の思い過ごしに他ならなくて。思い過ごしであって欲しい。咲の携帯電話に、早く返事が来れば良い。早く返事が来るようにと、私は、心の中で祈った。
 不安というものは、人を疑心暗鬼に陥らせる。なるみはただの風邪のはずなのに、ただ連絡がないだけで、何故か不吉な予感を覚える。より深い不安を感じてしまう。
 午前の授業が終わっても、お昼休みに入っても。なるみからの返信はなかった。
「……やっぱり、熱でもあるのかな?」
 お弁当を食べながら談笑していても、気持ちがどこか落ち着かない。心ここにあらず、だ。
「珍しいよね。なるみが何の連絡もよこさないなんてさ」
 最近はインフルエンザが流行っている。だからきっと、病院が混んでいて携帯電話が使えない、とかそういう理由だろう。何かあったと考える方が、どうかしているんだ。
「うん。あ、えっと。……あのね、なっちゃん」
 咲が何か言おうとしている。しかしどうにも歯切れが悪い。口にすることを躊躇っているような感じ。
「咲、何?」
 話すように優しく促すつもりだったのに、どうにも私の悪い癖が出てしまった。どうしたの、とか言えば良いのに。高圧的というか何というか。
 私は、思っていることを素直に口に出せない。
「……あのね、あたし、昨日、なるみから電話もらったの」
 意を決したように、咲は口を開く。
「電話?」
「うん。そう。で、そのとき言ってたんだけど……」
 そこまで言うと、咲はまた口をつぐんだ。教室内を見回し、誰も聞いていないことを確認する。
「なっちゃん」
 手招きをされ、私は咲の口元に耳を近付けた。よほど誰にも聞かれたくない話らしい。息を飲む音が聞こえる。咲は、緊張していた。
「……ピースの手掛りを見付けた、って」
「ピース……?」
 すっとんきょうな大声を上げかけた私は、慌てて口を手で押さえた。教室内のあちこちから、窺うような視線を感じる。
 けれどピースの噂はこの学校では誰でも知っている話なので、しばらくすると視線から開放された。名前くらいは誰でも口にする。お昼休みならなおさら。むしろその手の話に花を咲かせない方が、珍しいかもしれない。
 わざとらしく咳払いをして、とりあえず気を取り直す。
「……マジで?」
 咲にそう尋ねると、こくんとゆっくり頷く。
 あのなるみがそんなことを言い出したということに、私は何より驚いた。現実主義者というべきか。とにかくなるみは、変に冷めたところがある。咲とは正反対で、噂とか都市伝説とかにはあまり興味がないらしい。咲が楽しそうにその手の話をしていても、黙って聞いているか『ふーん』と相槌を打つかしかしない。聞くともなしに聞いている、というのが、私のなるみに対する印象だった。
 そのなるみが、そんな馬鹿げた話をしたということが信じられない。馬鹿げた、と言い切ってしまうのはどうかと思うけれど、ただの噂話だ。根拠も証拠もないんだから。
「なるみは、何を見付けたんだろう……?」
 考えながら、私は自然と口に出していた。優しさをみせる以外の感情は、素直に口から出て来るらしい。つくづく嫌になる。私の、この性質が。
「判んないんだ。……明日学校で話すって言ってたんだけど」
 昨日の明日、つまり今日。なるみは学校に来ていない。ピースの手掛りを見付けたなるみが、学校に来ていない。
 これが意味しているのは、一体どういうことなんだろう。なるみは今、ピースを探しているんだろうか。あのなるみがそんなことをするとは、考えられないんだけれど。
「なあ、加藤。……山田、風邪でもひいたん?」
 考え込んでいると、背後から急に声をかけられた。私は驚いて振り返ろうとしたが、それより先に咲が答える。
「よく判んないんだ。メールも返って来ないし」
「そっか。関口たちに判んないんじゃ、俺に判るわけねえよな」
 落胆したような口調で、ぼそぼそと喋っている。振り返ると、クラスメイトの佐藤が立っていた。
 黒髪に黒ぶち眼鏡。佐藤は、勉強はできるが地味な男だ。
「でもさ、佐藤。昨日なるみと会ったんでしょ? 前に約束してたじゃん」
 そういえば、前に約束をしていた。優等生のなるみに成績で勝ったらデートする、とか何とか。約束の日が昨日だったのか。
「あ……ああ」
 どうにもばつの悪そうな表情を見せる。さては、振られたな? そもそもなるみは色恋沙汰には興味がない。無理矢理デートに誘ったところで、最初から結果は見えていた。
「……俺が言うのもなんだけど、その……山田、どうしたのかなって」
 それでも、佐藤はなるみのことが好きらしい。振られた直後にこんな風に心配するなんて、私にはできない芸当だ。多分。タカに愛想を尽かされたら、私は、こんな風に心配はできない。
「振られたんだ? 佐藤」
 私は性格が悪い。傷口に塩を塗り込むようなことを、平気で口にする。本当はそんなこと、口にする必要がないのに。
「ああ。……昨日、動物園に行ったんだけど、帰りに、ごめんなさいって」
「それって、何時頃?」
 問い詰めるように咲が訊ねる。
「何時頃、なるみと別れたの?」
 咲は何かを確かめようとしているらしい。
 佐藤は、ひょっとしたら“ピースの手掛り”について知っているかもしれない。なるみからの電話のときに佐藤が一緒にいたのなら、可能性はなくもない。そう、考えているのかもしれない。けれど。
「……昼飯食ってちょっとしてからだから、……一時くらいかな、確か」
「一時、か……」
 あからさまに落胆した様子で、咲が続けた。
「なるみから電話もらったのって、先輩から電話もらった後だから、佐藤と別れてからみたい」
 咲が大沢先輩から連絡を受けた時間は知らないけれど、佐藤と別れてかららしい。だとしたら、佐藤がそのことについて知っている可能性は低いだろう。一人になってから、なるみが自力で何かを探し出したと考えた方が辻褄が合う。
 なるみは、良い意味で一匹狼だ。噂話は鵜呑みにしないし、理解の及ばない事象はとことん調べ尽くそうとするし。私や咲のように、すぐに誰かを頼るようなことはしない。
 もしも、佐藤が何かを知っているとしたら。なるみが伝えようとしたことと、きっと同じになるはずだ。佐藤に聞いたことを確認し”ピースの手掛り“を探し出したのなら、何かを知っている可能性も。
「……電話?」
 佐藤が不思議そうに口にする。なるみからの電話の件を、佐藤は知らないらしい。
「そう。昨日、咲のところになるみから電話があったんだって」
 横の席の椅子を引き、佐藤に座るよう促す。あまり大声で話すような内容ではない。馬鹿馬鹿しくて、曖昧で、拠り所のない話。なるみが言っていたという点を除くと、信憑性の欠片もない話。
 佐藤は椅子に腰掛け、机の上に左肘を乗せた。顔を支えるように頬杖をつき、少し不貞腐れたように口を開く。
「どんな内容?」
 自分について何か言っていたか、と顔に書いてある。佐藤は案外正直者らしい。地味で勉強だけが取り柄の男という印象に変わりはないが、思っていたより良い奴なのかもしれない。
 もちろん、タカには敵わないけれど。
「佐藤の話じゃないよ」
 自意識過剰だよ。私はそう思うと同時に、佐藤は何も知らないだろうと感じた。知っていたら、こんな反応を示すはずがない。
 ピースの話は誰でも知っている。佐藤も、多分、知っている。
「何だ……良かったあ。俺、何か変なこと言われてんじゃないかって、考えちまったよ」
「取り越し苦労だっての」
 あからさまに、ほっとした顔をする。考えてみたら、佐藤とこうやって話をするのは初めてだった。必要がないし、興味もないけれど。
「……ねえ、佐藤。ピースの話って知ってる?」
 咲が口を開く。何かを知っているかもしれない、と。可能性はゼロではないから。
 明日、なるみが学校に来たら聞けば良い話ではあるが、何となく、早く知りたかった。好奇心というフィルターで覆われてはいるけれど、心のどこかで、なるみは明日も来ないと思っている自分がいる。
 大丈夫。なるみはインフルエンザで寝込んでいるだけで、明日は無理だとしても何日か経てば、またいつものように学校に来るはずだ。根拠はないが、私は自分に言い聞かせた。
 根拠がない。けれど、他の事由は考えられない。考えたくない。形を成しつつある違和感が私の中で蠢いていることに、私は気付かない振りを続ける。
「知ってるけど。……見付けたら幸せになれるんだっけ? 確か」
「そう、それ」
 ぼんやりとした不安を抱えているのは、どうやら私だけらしい。咲と佐藤は、ピースの話を始めていた。
「なるみがね、昨日電話で……」
 言いながら、佐藤の耳元に口を寄せる。
 咲は男心を判っていない。私も他人のことを言えた義理はないけれど、急に耳元に呼気がかかったら、びっくりするに違いない。しかも、異性のが、だ。
 変な反応をされても知らないよ。佐藤が耳まで真っ赤になっているさまを眺めながら、私は心の中で囁いた。
「……手掛り……?」
 頬杖をついていた手を口元に移し、佐藤は呟く。顔はまだ赤いが、眼が真剣だ。真っ直ぐな瞳で咲を見詰め、話の続きを求めている。
 明日話すって言っていたんだけど、と咲が説明をしていると、私の携帯電話が鳴り響いた。慌てて鞄から取り出し、画面を確認する。そのまま通話ボタンを押し、電話に出た。
「もしもし、タカ?」
 不機嫌な口調で電話に出る。昼休みに声が聞けるのは嬉しいけれど、素直に喜びを表わせない。話の腰を折ったこともあり、必要以上に刺々しい口調になってしまった。
「……なあ、夏」
 珍しく、随分と落ち着いた口調でタカが話す。
「お前の友達にさ、山田なるみっていたよな?」
 タカの口からなるみの名前が出て来るとは思ってもみなかったので、私は間髪入れずに聞き返していた。
「なるみ?」
「そう。山田なるみ。……今日、学校に来てるか?」
 学校には来ていない。そんなことより、どうしてタカがなるみの話をしているのか。私には、そのことの方が気懸かりでならない。
「いないけど。……それよりタカ、何でなるみのこと……」
 私の中で、違和感が広がっていく。まさか、が形を成していく。
「……落ち着いて聞けよ」
 やけに冷静なタカの口調によって、私の不安が名を持ち始める。
 前を見ると、咲が心配そうな顔をしていた。私がなるみの名前を出したからだろう。佐藤も、不思議そうな表情で私を見上げている。
 電話の内容は聞こえていないらしい。私は二人から目を逸らすように、窓の外に広がる青空を見詰めた。
「山田なるみは……」
 私の心の中に内在していた不安は。
「……死んだ」
 死という絶対的な名を持っていた。



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