食欲がない。当り前かもしれないけれど、あたしは何も食べる気にはなれなかった。
ママは心配している。親友が自殺したことを、ママも知っているから。明日は臨時朝礼が行われると、さっき電話があったらしい。
あたしは部屋にこもりっ放して、ヘッドフォンで先輩のバンドの曲を聞き続けている。家に帰ってきてからずっと。もう何度目になるか判らないくらいに聞いている。
先輩の声があたしを癒す。心地良く響く歌声が、穏やかにあたしを包み込む。
あれから何度も電話したのに、先輩は一向に出てくれない。忙しいんだと思う。けれど、あたしのことを構って欲しい。あたしを浮かび上がらせて欲しい。
メールの件数も相当だったと思うのに、返信は来ない。先輩と繋がっている時間が欲しい。あたしを一人にしないで欲しい。
あたしのピースは、先輩だ。CDは欠片でしかない。
なるみは手掛りを掴んで死んだ。手掛りを。欠片を。
欠片だけでは意味をなさない。だとしたら。あたしが手にした先輩のCDは、先輩ではないということなのかもしれない。先輩を掴んでいないと、あたしも。
なるみが言っていた手掛りって何だろう。どういうものだろう。
鳩の羽。点けっ放していたテレビで、そんなことを言っていた。ピースの手掛りを掴んだから、なるみは死んだのかもしれない。
あたしは。あたしも。手掛りの存在を、知ってしまった。なるみが死んだのがそのせいなら、あたしも死ななければいけないのかもしれない。
――ピースは、そばにいるよ。
そばにいる? あたしの幸せは先輩のそばにいること。先輩を感じていること。
――先輩があたしのピースだから?
そう。先輩はあたしのピースだ。だからいつも、一緒にいなければならないんだ。
ヘッドフォンを外し、今日何度目かも判らない電話をかける。呼び出し音が鳴り響く。先輩と繋がる糸口。先輩を感じられる音。コール音。限界まで達し、留守番電話に切り替わる。
けれど用件を入れようとしたら、入れられなくなっていた。預かり件数を超えているのかもしれない。
「……先輩の馬鹿……」
留守番電話くらい聞けば良いのに。どんなに忙しくても、そのくらいの時間は取れるはずなのに。
先輩にとってのあたしは。
あたしにとっての先輩ほど、大事じゃないのかもしれない。
携帯電話を弄り、音楽を聴く。先輩から電話がかかってきたような気分に浸りたい。ヘッドフォンで聞いていた先輩のバンドの曲よりも、もっともっと聞きなれた曲。先輩の声が聞こえるような気がする曲。
曲にあわせて鼻歌を歌う。あたしはよく先輩に『音痴』だと言われるけれど、先輩が上手いだけで自分では普通だと思っている。前になるみに感想を求めたら、黙って答えてくれなかったけれど。なっちゃんは大笑いしていたけれど。
なるみ、何で自殺なんてしたんだろう。
悩みなんてなさそうだった。勉強もできるし、美人だし。物静かで毒舌で。いつも本を読んでいた。小難しそうな古典小説。前に貸してもらったけれど、ちっとも読み進められなかった覚えがある。
そういえば。まだ返していなかった。もう一生、返せなくなってしまったけれど。
携帯電話で曲を奏でながら、机の中を探してみる。なるみに借りた本が、ここにあるかもしれない。何か、手掛りになるかもしれない。
なるみが死んだ理由が、それに書かれているかもしれない。
懸命に机の中を探していると、電話がかかってきた。先輩の曲。先輩からの電話。あたしは探していた手を休め、携帯電話に手を伸ばした。
「……もしもし、先輩?」
愛しいあなたの声を、どうかあたしに聞かせて下さい。
「サキ?」
心地良く落ち着いた声。先輩の声を聞いていると、余計なすべてを考えずに済む。
「……どうした? 何かあった?」
疑問符ばっかり。でも、心配してくれているのが判る、優しい声音で。
「先輩、あたしの……」
なるみの話。先輩にした方が良いんだろうか。話したら、心配をかけることになるけれど。
――しない方が良いよ。言ったってどうにかなるわけじゃないんだから。
そうだ。言っても変わらない。今は先輩にとって大事な時期だ。少し不安があることは伝えても、なるみのことは話さない方が良い。
――賢いね。
そう。あたしは先輩のそばで、先輩を支える存在になりたいんだ。
「……ちょっと、不安だったんです」
素直に伝える。感情は吐露しても現状は隠す。先輩の負担にならないよう、あたしは気をつけなければ。
「そうか。……ごめんな、俺、今日電話できなくて」
「良いんです。こうやって声が聞けただけで」
先輩の声は魔法の声。先輩の鼓動は魔法の鼓動。先輩の存在は魔法の存在。先輩がいるだけで、あたしの心は癒されます。
「うん、じゃ、まあ。もう遅いし、明日も学校だろ? おやすみ」
「おやすみなさい」
先輩のおやすみで、あたしは安心して眠れます。明日、本当は学校に行きたくなかったけれど、先輩に迷惑をかけないためにもちゃんとします。
ありがとう、先輩。
――偉かったね。
うん。あたしは偉かった。先輩に迷惑をかけないで済んだ。心配をかけないで済んだんだ。
通話を終えた携帯電話をしばらく眺め、先輩の余韻を満喫する。待ち受け画面にしている、先輩の笑顔の写真が眩しい。この笑顔は、何より大切なあたしの宝物。先輩の笑顔を見ていれば、あたしはきっと大丈夫。
おやすみメールを先輩に送り、あたしは眠ることにした。
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