『LOVE@ピース』


高橋 一朗@火曜日 15:25

 今日はさすがに無理だ。大切な時期だというのに、授業中に居眠りなんてしてしまった。今は僕にとって鬼門の英語の授業中だが、それでもやっぱり睡魔は容赦をしてくれそうもない。
「……When it is correct, thinking that I am correct doesn't necessarily limit that it is. 」
 担任が何を言っているのかがさっぱり判らない。眠いから、というのは大いにあるだろう。文章なら何とかなるのに、どうにも喋られると弱い。
 センター英語のリスニングは、多分、そんなに良い点数が取れない。ああ。気が滅入ってきた。
 大体、今日の僕は変だ。眠いのは別に良い。けれど妙にぼんやりしているし、気が付くとそのことだけを考えているし。
 カトウナツコ。加藤の妹。
 今朝ちらっと見ただけなのに、何故こうも頭から離れないのか。意味が判らない。いや、本当は判っている。けれど判りたくない。判ってはいけない。
「……はあ」
 僕は誰にも気付かれないよう、ゆっくりと溜息を吐いた。この溜息に混ざって、僕の気持ちも出て行けば良い。出て行ってくれないと、困る。
 今日こそきちんと予備校に行こう。今日こそきちんと家に帰ろう。昨日の朝、着替えに帰っただけで、ここ数日は本当に家にいなかったと思う。まあ、いたところで邪魔者扱いされるのは目に見えてはいるけれど。
 ああ。頭の中がもやもやする。眠気のせいだ。眠気のせいだと思う。思いたい。
 大体、僕は受験生だ。現役で大学に入らなかったら、両親にも弟にも馬鹿にされるに決まっているのに。
 畜生。何でこんなに天気が良いんだよ。
 窓から見える外の景色に、僕は心の中で毒づいた。そんなことをしても何も変わらないのは判っている。ただ、何かに当り散らしたかっただけだ。
 気を逸らすため英和辞書をぱらぱらとめくると、授業とは関係のないページで手が止まった。Summer。夏。ナツコ。加藤の妹。
 駄目だ、僕。本格的にどうかしている。完全に敗北が決定しているのに、何故こんなにも気になってしまうのか。
 僕は来年の今頃は、海外からの留学生ブロンド美女と愛し愛される生活を送ると決めているのに。完璧なプロポーションの完璧な美女よりも、カトウナツコの方が気になって仕方がないなんて。
 集中力の完全なる欠如。受験生としては致命的な。
 僕は本当に受験生なのか?
 抑えようとする気持ちと広がっていく恋慕の情が、僕の中で格闘している。勝て、僕の理性。負けたら僕はもうどうしようもなくなる。
 一目見ただけだ。会話を交わしたわけでもない。そんな状況で惚れる方がどうかしている。気のせいだ。僕の、気のせいだ。
 遠くから聞こえる終業の音も、僕の理性の後押しはしてくれない。ああ、負けそう。けれど、それでも僕は認めない。絶対に認めるわけにはいかない。
「高橋、どうした? ぼおっとして」
 後ろの席の野本が心配そうに声をかけてきた。そういえば、英語の授業は既に終わっている。終業の知らせが流れたのだから、間違いなく。だから今は、束の間の休息。授業の合間の休み時間で。
「……いやさ、来年の今頃は、ミスキャンパスとのクリスマスデートの準備だなあ、とか思ってさ」
 いつもの僕の主張と変わりない。大学に入って美女と付き合う。それが僕の理想の未来。それなのに、僕は理想に輝きを感じない。
「なんだよそれ」
 野本が呆れたように笑っているので、僕もつられて笑ってみせた。本当におかしい。今日の僕はどうかしている。
「なあ、高橋」
 背後から聞き慣れた声。振り返れば奴がいた。
「……なんだよ、加藤」
 お前が悪いわけじゃない。けれど、加藤の顔を見るのは辛い。カトウナツコのことを考えてしまうので、今はあまり見たくない。
「あ、いやさ。……またそのうち、昨日みたいにゲーム大会でもしようぜ」
「……おう」
 この先ずっと、加藤の家にさえ行かなければ、カトウナツコに会うこともない。これ以上深入りしないためにも、絶対にその方が良い。判っては、いる。
 それでも心の何処かで、また会いたい、今すぐ会いたいと願っている自分もいるわけで。僕にはどちらも本心で、どうすれば良いのかが判らない。
「じゃ、ま。……もうそろそろ世界史のハゲ山も来るだろうし」
 平常心を保ちたい。僕の願いはそれだけだ。
 僕が立ち聞きした噂話の方ではなく、加藤の妹が言っていた方の、会うと幸せになれるピースとやらがいるのなら、僕の願いを叶えて欲しい。行方不明になるのが僕のこの感情だと言うのなら、最初の噂の主でも構わない。
 誰でも良い。この僕を、救いのない感情から抜け出させて欲しい。
「何だよ? 用事はそれだけかい」
 口先だけならいつもと同じ。通常を保てている。
「……まあ、あと」
 ありがとな。口だけ動かして、加藤が言う。結局加藤は礼が言いたかったらしい。照れ臭そうに俯き加減になった表情は、当り前かもしれないが、カトウナツコに似ていた。
 教室が俄かに騒がしくなる。次の授業は鬼のハゲ山による、恐怖の世界史だ。眠いとか好きだとか考えている余裕はない。
 教科書と参考書を机の上に並べ、後ろの野本にお願いをする。
「……僕が寝そうになったら、背中でもつついて起こしてくれ」
「良いけど、この借りは高くつくぜ?」
 前に何処かで聞いたような台詞を吐き、野本がにっこりと微笑んだ。



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