『LOVE@ピース』


高橋 一朗@日曜日 16:50

 予備校が終わった僕は、駅前に戻ると適当なベンチに腰掛けた。
 ゆっくりと息を吐きながら、携帯電話の画面を見る。加藤との約束までは、残り時間約十分。ひどく寒く感じるのは、陽が落ちたせいだろうか。
 灯ったイルミネーションが、昼より明るく街を照らす。けれど吐く息は白い。手袋をしてもマフラーを巻いても、この寒さはしのげない。せめて僕に彼女がいれば。彼女がいて、僕の巻くこれが愛しい彼女の手編みのマフラーだったとしたら。
 ああ、きっと温かい。やっぱり男子校になんて、通うんじゃなかったのかもしれない。
「……で、さ」
 僕の座るベンチの近くに、女子高校生の集団が歩いて来た。やかましく喋りながら。聞き耳を立てているわけじゃなくても、話し声が耳に届く。そのくらい、声が大きい。
「アタシのダチの話なんだけどー」
 どこかの制服だと思うけれど、着崩し過ぎていてよく判らない。三人組で、妙な話で盛り上がっていて。頭はあまりよろしくなさそうだ。かなりの勢いで化粧が濃い。香水の匂いがキツい。見えそうなほどスカートが短い。寒くないのだろうか。
 僕は移動しようと思ったが、ちょっとの罪悪感とかなりの好奇心で、このまま聞き耳を立てることにした。全くもって好みではないけれど、女子が嫌いなわけじゃないし。何というか、加藤が来るまでの、ちょうど良い暇つぶしにはなりそうだ。
「えー? マジでー?」
「マジマジー。でさー、ダチの名前ナッツっつーんだけどー、ナッツがさー、ピースに会ったんだってー」
 語尾を延ばすな、鬱陶しい。話の内容が入りにくくないのか?
「でー、こっからがマジヤバな話なんだけどー」
 さっきから独りで喋っている金髪の女の口元に、引きつった笑みが浮かぶ。この『ヤバい』はすごいとかじゃなく、本当にヤバい話らしい。
 僕は興味津々だった。男子校に通っているせいか、真面目な校風のせいか。女子にはあまり縁がない。だからこんなくだらない話で、時間が潰せているのだけれど。
「……行方不明、なんだってさー」
 なんだそれは。オチとしてはあまりに出来が悪い。行方不明。神秘的な響きでごまかされそうになるが、あまりに曖昧でどうしようもない。
「ケータイ繋がんねーしー。ナッツの姉貴に聞いてもわかんねーってー」
 じゃあ、あれか? そのナッツとやらは神隠しにでもあったのか? くだらない。
 しかしそのくだらない話で時間は潰せた。そろそろ加藤が来る頃だ。僕は重い腰を上げ、駅の改札へと向かう。
「ヤバくね? アタシもピース探してたしー」
 ベンチでは、女子高生たちがまだくだらない話を続けていた。
「おーす。悪い。待たせたな」
 加藤が片手を挙げて、ゆうゆうと歩いて来る。急な呼び出しをしたのは僕の方だけれど、なんだか少しばかり腹立たしい。
「おう。待ちくたびれて手が凍ったよ」
 こんな時期に野郎二人で歩くのは気が乗らないが、そんなことはどうでも良い。街中のイルミネーションが綺麗だ。でもキミの方がもっと綺麗だよ。なんて会話を交わしてみたい。来年だ。来年の今頃には僕は大学生で、彼女くらいできていて。
「どうしたん高橋。受験勉強忙しくねえのかよ?」
「忙しいけどな、息抜きってヤツだ」
「息抜き、ねえ」
 加藤が余裕の笑みで僕を小突く。息抜きには遊ぶのが一番だ。僕の連れは皆受験生で、加藤は唯一の暇人で。
「痛えな何すんだよ」
 僕は拳で加藤を殴る。もちろん本気じゃない。軽く、じゃれるように、だ。
 しかし冷静に考えると、野郎二人でじゃれ合うのも気持ちが悪い。僕はすぐさま手を引っ込め、カラオケボックスのある路地へと急ぐことにした。
「飲み放付けようぜ」
「あたぼうよ」
 馬鹿ができるのは今しかない。大学に入ったらこうして遊ぶ機会も減るだろう。加藤が行くのは東京の大学で、僕が受験するのは地元の大学がメインだ。志望校のランクを下げれば尚のこと、遊べなくなる。加藤は賢い。僕は馬鹿だ。加藤以外の連れも、僕同様馬鹿ばっかりで。
「夕飯食っても良いか?」
 笑いながら加藤が聞いて来る。
「自分の分は自分で出せよ?」
「もちろん、そのつもりだよ」
 受験生はバイトもできない。だから当然金もない。加藤は持て余した時間を、何に費やしているんだろう。
 そうこうしている内に、僕たちは目的地へ到着した。受付を済ませ、部屋が空くのを待つ。当り前かもしれないが、休日の横浜は結構混んでいる。
「待つとは思わなんだ」
 やっぱり年の瀬が近くなると、それなりに余裕のあるヤツらはそれなりに遊びたいらしい。僕だって、去年は馬鹿みたいに遊びまくっていた。それこそ、夏休みに部活の合間にちびちびと稼いだバイト代が、全て消えてしまう程度には。
 店内の飾りつけはクリスマスカラー一色で、一人身である僕の心にぐさぐさと突き刺さる。浮かれたクリスマスソングが、追い打ちをかけ逃げ場を奪う。ああ、溜息しか出そうにない。
 ふと、思った。加藤はどうなんだろう、と。僕は受験生で暇もないし、当然彼女なんていやしない。けれど加藤は、僕たち受験生と違って暇人だ。賢いし、顔は、まあ、別段悪くはない気がする。身長は僕の方が高いけれど。女の趣味は知らないけれど。
「なあ、加藤」
 気になったからには聞くしかない。
「お前さあ、彼女とかいんの?」
 ぎょっとした顔で加藤が僕を見る。この反応は、ちょっと失敗したかもしれない。最近振られたとか別れたとか、とにかくそういう表情だ。
 しかしここで引き下がるわけにも行かない。気を使っていると思わせるのも、加藤に申し訳ないし。何か、別の話題に上手くシフトしていければ良いんだけれど。
 そうだ。僕はとっさに思い出した。ピース。さっきの女子高生が話していた、奇妙な噂話を。
「あ、いやさ。さっきお前を待ってる間、隣にどっかの高校の女が座っててさ。で、変な話をしてたから気になってさ」
 不自然ではない。女の話から噂話への見事なすり替え。僕ってば、話術の才能があるのかもしれない。
「……変な話?」
 お。乗ってきた。
「そうそう。何か“ピース”ってヤツの話。お前知ってるか?」
「……ピース……?」
 呟くと、加藤は考え込んでしまった。何か心当たりがあるのか、口元に手を持っていき、いかにも考えていますといったポーズをとる。加藤の、どうかと思う癖のひとつだ。
 しばらく考え込むと、加藤がおもむろに口を開いた。
「……思い出した。妹が前に言ってたんだ、それ。会うと幸せになれるってヤツだろ?」
 幸せ。さっきの女子高生の会話だととてもそうとは思えないけれど、しかし加藤が言うには幸せになれるヤツらしい。そんなことよりも。
「ふーん。……てか、加藤! お前妹いんのかよ?」
 加藤が何気なく口にした“妹”という単語が、正直気になって仕方がない。
「いちゃ悪いかよ?」
「悪いわ。毎日家でおにいちゃんとか呼ばれてんだろこの野郎」
 年齢の離れた弟しかいない僕にとって、妹という存在は未知数だ。弟みたいに生意気でもなく、優しくて、僕を慕って『おにいちゃん』とか呼ぶんだろうな。くそ。羨ましい。
「夏子はそんな可愛いもんじゃねえっての」
「ナツコだあ?」
 益々もって羨ましい。妹か。僕にもいたらよかったのに。色白巨乳で『おにいちゃん大好き』とか言っちゃうような。潤んだ瞳で僕を見上げて思わせぶりな態度で『何でもないもん』とか言っちゃうような。
「高橋、お前が思ってるほど良いもんじゃねえよマジで」
 僕の心を見透かすかのように、加藤がぼそりと呟いた。畜生。僕の幻想の妹を馬鹿にしやがって。
「口うるさいわ生意気だわ。挙句の果てに俺のこと邪魔だって蹴るんだぜ?」
 うるさい。そんなもの、あれだ。ツンデレだ、ツンデレ。そんな態度を見せていても、一番好きなのはおにいちゃんですとかそういうアレだろ。
「……様、高橋様……」
 店員が僕の名前を呼ぶ。ああそうか。部屋待ちしていたんだ。僕の妹よ、さようなら。おにいちゃんはカラオケを熱唱して来るよ。
「高橋、お前さっきから何ニヤけてんの?」
 不審そうに尋ねる加藤を無視して、僕は部屋に入った。奥の方の席に座り、諸々のスタンバイを始める。
 部屋に入ってまずすることは、曲を選ぶことでもマイクのセッティングでもない。飲物。若い青春の飢えと渇きを癒す、黒くてしゅわしゅわした、例のあれだ。
「高橋、いつもので良い?」
 扉脇にある受話器を手に、加藤が、いや、おにいちゃんが言った。抜かりのない手際の良さ。さすが、推薦を勝ち取っただけのことはある。
「おう、いつもので」
 僕はすかさず頷き、机の上にあるメニュー表を手に取った。大した食べ物はない。安くもない。しかし、カラオケ中に食う飯は何故かべらぼうに美味い気がする。
 カレーピラフとコーラ。おにぎりとコーラ。たこ焼きとコーラ。何にしようか迷う。大いに迷う。
「なあ、おにいちゃんは何食うの?」
 なるべく被らない方が良い。飲物が来てから考えれば良いが、一応、目星は付けておきたい。
「おにいちゃんって何だよ?」
 しかし、おにいちゃん改め加藤は答えてくれない。受話器を置くと、そのまま僕の対面の席に座った。
「だっておにいちゃんだろ? 加藤は」
 僕なんて家じゃずっと馬鹿兄だイッチーだと、変な呼び方しかされていないのに。畜生。羨まし過ぎるぜ。
「だから、そんな良いもんじゃねえっての。おにいちゃんなんて呼ばれたことねえし」
「そうなん?」
「そうだよ。兄貴とかならまだ良いけどな、最近じゃ普通に“豊”呼ばわりだからな」
 なるほど。リアルの妹ってのは、そういうものなのかもしれない。僕の理想の妹像は、もっとこう、愛くるしいって言葉が似合う感じだな。うん。『大きくなったらおにいちゃんと結婚する』とか言っちゃうような。
 加藤よ。現実に存在しない分、僕の方が勝ちのようだな。
「……高橋、さっきからどうしたん?」
 僕は自分でも気付かないうちににやけていた顔を引き締め、必要以上に真面目な顔をした。頬を数回叩き、気合を入れ直す。
 カラオケは、戦場だ。喉が枯れるまで歌い、腹が膨れるまで飲む。
 ふと見ると、向かいに座る加藤は既に何曲か入力していた。新曲の練習のつもりだろう。あまり本をめくらず、淡々と数値を打っている。
 僕も、負けてはいられない。


-007-
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